引き寄せの法則についての記事は、何度にもわたって書いてきましたが、今回は、私が実践してきた方法を思いつく順番でご紹介したいと思います。
今回は、自分の忘備録もかねての記事ですので、取り留めなくなるかもしれませんが…。
参考になれば幸いです。
良いことに意識を向ける
基本的に気を付けていることは、良いことや望むことに意識を向ける、ということです。
宇宙には、意識を向けたものが拡大する、という性質があります。
喜びに意識を向ければ喜びが拡大し、恐れや不安に意識を向ければ恐れていた状態がやってきます。
失敗したらどうしよう、病気になったらどうしよう…と心配すると、不思議なことに、心配していた状態になりがちです。
一日24時間のうち、何時間を心配ごとに費やし、何時間を未来の展望に費やしているでしょうか?
人生とは、生きている間どう生きるか?の問題ではないでしょうか?
そう考えた時、私は、なるべく、自分の望むことを考えるようにしています。
ネガティブな人に注意する
ネガティブな人に注意します。どんなに自分がポジティブでも、ネガティブな人につかまってしまうと、夢や希望をつぶされてしまいます。なるべく近寄らないように気を付けます。
しかし、どうしても接しなければいけない場合は、観察対象として割り切って考えます。その人の思考と境遇を観察します。すると、ネガティブな人は、ネガティブな状況に陥っていることが見えてきます。
ネガティブでいるとどうなるか教えてくれるということで、この人は、自分の反面教師になります。
ネガティブな人は、「こういう風なものの考え方をしてはいけない」ということを教えてくれる人なのです。
そう思って、ありがたく、観察させてもらいましょう。
その人と反対のことをやると、うまく行きます。
ちなみに、ネガティブな人を救ってあげたいと思う人もいるかもしれませんが、この人は、それを選んで好きでやっているのです。ですから、ポジティブを勧めても、断固拒否してくるでしょう。
そっとしておいてあげたほうが良いと思います。も、断固拒否してくるでしょう。
そっとしておいてあげたほうが良いと思います。そういう人も、ネガティブな体験に飽きたら、きっと、ポジティブになると思います。
念じてから手放す
願望を実現したいときには、一定時間念じてから、その思いを手放します。
思いにはエネルギーがあると思います。もしも思いが少しだけなら小さな現実、思いをたくさん貯めれば大きな現実がやってくると思います。
思い=現実
である、と私は思います。
ですから、願いがあれば、なるべくそのことを念じます。短時間に一気に念じることもできますが、数年かけてジワジワ念じることもできると思います。
そして、ある程度、念がたまったら、その念を手放します。
手放すと、それは、現実化します。逆に言えば、手放すまで、現実化しません。
私の経験では、手放した後、別の現実が自分にやってくることもあります。そして、自分と接点があったほかの誰かが、その現実を受け取る、ということがありました。
ただこの場合にやってくる現実は、自分が、もともと願っていたものよりも、もっと良いもののほうが多かったです。そして、本来の自分の道にふさわしいものでした。
念じている時点では、何をすべきなのか見えていなかったのが、念を手放してから、まったく知らない世界が自分にやってくることがありました。
やってきたときは、それが何なのかわからないのですが、実際に受け取ってしばらくすると「こっちのほうが自分にふさわしい」と満足できるような、そういう何かでした。
ただそれは、かつて自分が念じていた、念の総量にふさわしいか、それ以上の現実だったと思います。
念の集め方
念を集めるといっても、いくつか方法があると思います。私の思いつく限り、まとめてみたいと思います。
念の集め方1:念じる・願う
まず、オーソドックスに、念じたり、願う、というものがあります。
言葉に出したり、紙に書くのもこれに含まれると思います。アファーメーションというやつです。
または、イメージし続ける、ということも、念じることに含まれると思います。時間があればイメージする。寝る前にイメージする。歩いているときもイメージする。仕事しながらもイメージする。
なりきる、という方法もあります。仕事ができるようになりたければ、仕事できる自分を演じながら仕事をしてみます。そうすると、いつのまにか仕事ができるようになっている…。というように、です。この場合、なりきりながら、イメージをし続けていることになります。
イメージも言葉も文字も、念を集める行為だと思います。
念の集め方2:人の願いをかなえる・奉仕する
人の願いをかなえてあげたり、人のために何かをしてあげることでも、念が集まると思います。
この場合は、自分の念ではなく、人の念です。感謝されるようなことをすると、その分、人の念があつまり、その念が、願望実現に使えると私は思っています。
普段から人に親切にしたり、仕事などを通じて人に役立つことをしていると、感謝の気持ちが集まり、そこに自分の念も加わると、願望実現のスピードが速くなるのではないか?と私は思っています。
このことについては、自分としてはもう少し検証が必要だと思っています。
念の集め方3:努力する・行動する
一般的には、努力する、ということが薦められているかもしれません。
「努力したから成功した」というのは、昔から言われていると思いますが、実際は、努力と思われる行為をすることによって、成功へのイメージを強め、念を集めているのだと私は思います。
「これを続ければ必ず成功するだろう」と確信しながら努力を続ければ、必ず成功するでしょう。
しかし「こんなことをして何になるのだろう…どうせ無駄に決まっている」と思いながら、同じように努力をしても、その努力が報われることはないと思います。少なくとも、私の経験では、そうでした・・。
「自分はダメだ」と思いながら努力した場合は、努力すればするほど、うまくいかなくなりました。ですから、勉強をする場合も、仕事をする場合も「これを続ければ成功するのだ」という、うまく行くイメージを持ちながら努力を続けるのが一番だと思います。
ただし、私の経験では、努力したことで認められることはありませんでしたが、頑張った分の実力はつき、できることが増えました。その力を、別の分野で生かすことはできました。
行為の量と、実力の量は比例すると思います。そして、ある地点を超えたら、飛躍的に力が伸びていく・・・ということも実感しています。一皮むけて、ふつうの人とは明らかに、何かが違ってくる感じです。
苦痛の量と成功の量は比例する?
ちなみに、努力というのは苦痛をともなうイメージがあります。例えば、1000本ノックのようなものであれば、つらさに耐えて行う、過酷な修行というイメージです。
しかし、バッティングが大好きな人は、1000本どころか、時間が許す限りずっとバッティングしていたいと思うかもしれません。苦痛どころか、気が付いたらやっている、やめろと言われてもやってしまう…それは、むしろ快感なのだと思います。
しかし、苦痛だろうが快感だろうが、行為は行為です。バッティングを積み重ねれば積み重なるほど、上達し、最後は、かなり良い結果を出せるようになると思います。(もちろん、間違ったやり方をしていては意味がないので、適切な指導は必要だと思いますが・・)
努力は意味がない、とか、努力は素晴らしい、といったとき、そこには「苦痛に耐えることに意味があるのだ」という思想も含まれているように思います。
もしも、苦痛の量と成功の量が、同等だ、とその人が信じていれば、苦痛を味わえば味わうほど、成果がでるかもしれません。そう信じているのですから。
でも、練習量だとか、仕事の経験値の量が、その人の実力に比例するならば、苦痛かどうかは関係ないように思います。それは、どれだけやったか、の、量的な違いではないでしょうか?
とにかく、バッティングにしろ、歌の練習にしろ、それをしている間は、そのことを考えています。野球がうまくなりたいとか、歌がうまくなりたい、といったように、です。考えなくても、無意識に、意図し続けることになると思います。
その時間が多ければ多いほど、より、多くの念が集まると思います。また、技術の習得が必要な場合は、技術も身に付きます。その技術は、願望実現のために有効利用できることは言うまでもないと思います。
行為・思い・イメージによって念が集まる
少し話が脱線しましたが、そのことを思いながら行為をすること、またイメージし続けることによって、念が集まります。
願望の種類によっては、この念が現実になると思います。
意図する
何に対する念を集めるかは、意図する必要があります。
点を打つようなイメージです。
例えば、ブロガーになりたい、というのが願望であれば、「ブロガーになる」ということが意図になります。
ブロガーになるには、ウェブサイト開設をしたり、文章を書く能力が必要だったり、執筆の時間が必要だったり、何らかの勉強をする必要があります。自分でウェブ開設できない場合は、できる人に外注することもできます。
とにかく、「ブロガーになる」という意図が決まれば、それらの必要なことは、自然と集まってきます。集まってきたら、それを一つずつ、淡々とこなすだけです。
そうすれば、いつのまにか、結果が出ています。
もしも「ブロガーになる」という意図が明確でなかった場合・・・たとえば、何となく文章を書いてみたいだとか、インターネットをやってみたい、というような場合は、焦点がぼやけてしまいます。
「なんとなくブログとかやってみたいんだよね…」という感じであればいつまでも、ブロガーにはなれないかもしれません。そういう人はもしかすると、本当になりたいのはブロガーではなく、人気者だったり、パソコンがいじりたいだけだったりするのかもしれません。人気者になりたいのであれば、youtuberでも良いでしょうし、SNSに投稿でも良いはずです。
自分の欲しいものやしたいことを明確にする、ということが、「意図する」ということだと思います。
意図がはっきりしており、その意図を持ち続ければ、たいていの願望は実現すると私は思います。
なりきって行動する
先ほども出てきましたが、「なりきって行動する」というやり方が、私の場合は、比較的、簡単でした。
子供のごっこ遊びのようなノリです。
最初は、遊び感覚で、何かのふりをするのですが、ふりをし続けていると、やがて、本当にそうなってしまったような錯覚に陥る時間が出てきます。もちろん、ずっとではありませんが、一瞬だけ「あれ?」と思うような時が出てくるのです。
そういう感覚が出てきたら、しめたもので、潜在意識に書き込みされている状態だと思います。
あとは、現実のほうが、勝手に動き始めます。または、何かを思いつくかもしれません。思いついたり、現実に変化があったときは、一つ一つ、無心でこなすようにします。
そうすると、いつの間にか、願望が実現しています。
無心で行動する
何かをイメージしたり意図した後、現実が動きだした後は、行動を起こさなければいけなくなるかもしれません。この時の行動は、無心で、というのがポイントだと思います。
というのも、行動を起こす段階は、すでに何かを意図した後だと思います。その時は、最初の意図の通り、潜在意識に動かされている状態です。
その状態で、今やっていることの結果を考えたり、それをすることの意味を考えてしまうと、余計な意図が入ってしまいます。
例えば、「ブロガーになる」と意図した後に、良いブログスペースを見つけて、ブログ開設の方法が分かるかもしれません。そうなったら、その次は、淡々とブログ開設の手続きをするのです。
開設の手続きをしながら、たとえば、「もし誰も見に来なかったらどうしよう」と考えてしまったり、反対に、「どれくらい見てくれるかな~」などと、変に期待しすぎるとよくないと思います。
潜在意識、もとい、宇宙は、願望実現のために、いろいろなご縁をつなごうとしています。そして、もしかすると、宇宙の計画としては、一個目のブログはお試しで、二個目のブログが本番かもしれないのです。
そこで、一個目のブログで変に期待して、その期待が外れてがっかりして、もう駄目だ…と思ったりすると、「もうだめだ」という余計な念が入ってしまうのです。
ですから、最初に明確に意図して、動き出したと思ったら、後は無心で、淡々と取り組むのが一番良いと思います。
意図をはっきり決めたら、あとは、無意識が自動的に場を用意してくれるので、その流れにのり、淡々と行うのが良いと私は思います。
手帳に書いて時々振り返る
手帳に書くことも、効果的でした。
まず、かなえたい夢を手帳に書きます。これは、一度でも良いですが、思いついたら何度書いてもよいと思います。
そして、なるべく、その日やったことも書いておきます。
- どこへ行った
- 何を思いついた
- だれに何を言われた
- テレビでどんなものを見た
などなど、些細なことも書いておきます。
そして、1か月ごとに、手帳を整理します。
そうすると、願望に関連した情報がどれだけ集まったか、どれだけ進展したか、どれだけ考えが変わったかが自分でわかります。
時には、最初の願望がすっかりなくなっていることもあるかもしれません。その場合も、願望がどのように変化していったか、自分で振り返ることができます。
手帳に書き、定期的に振り返ることにより、自分の意識を客観視する練習ができると思います。これをすることで、無意識を意識するための訓練になっていると、私は感じています。
引き寄せの法則の使い方をまとめてみました
今回は、思いつくまま、自分の体験談から、引き寄せのやり方をまとめてみました。今回は、自分用のメモもかねての記事だったので、とりとめのない内容になりましたが、参考になればうれしいです。
時間が取れたら、引き寄せの方法について、まとめたものも、作ってみたいと思っています。