基本的に、思考は全て現実化すると私は思っています。
これは私の妄想だと思って読んでいただきたいのですが、おそらく、思考は全て現実化しますが、人間にとって難しいのは、自分自身の思考に気づくことのほうではないかと思います。
意識が現実を作っている
目の前にある現実は全て、自分の意識が作り出していますが、望まない現実がそこにあるのは、自分自身の意識の深い部分に自分自身でも気づけて居ないからではないかと思います。
- 不安
- 恐れ
- 怒り
など、ネガティブな感情に気づけないと、それらの感情が現実化してしまいます。
そして、現実になってから、いやだな、おかしいなと感じるのではないでしょうか。
私が思うに、現実は、自分自身の意識をそのまま映し出しおり、自分自身の意識に気づくために、全ての現実が目の前に展開しているのではないかと思います。
難しいのは意識のコントロール
思考が現実化するなら、現実は思うまま、自由自在化と思うかもしれませんが、実は、思考をコントロールすることが人間にとっての一番難しいところ・・・ということだと思います。
だから、思うような現実が手に入らない人が多いのではないでしょうか。思考のコントロールが難しいからです。
引き寄せの法則では、思考は現実化するからポジティブシンキングが大切、わくわくが大切といいます。
確かにそれは正しいのですが、しかし、人間にとって何より難しいのは、自分自身の「本当の気持ち」や「深い意識」に気づくことだと思うのです。
わくわくだけでなく、ネガティブなものが潜在意識の中にあり、それにはなかなか気づけません。
そして、その意識は自分だけのものでない場合もあると思います。
たとえば、民族全体が背負っているものや、人類の原罪のようなものも含まれると思います。
しかし、自分の深いところの意識に気づくことで、その意識を自覚でき、変化させられることもあると思います。
反対に変化させなくて良いと感じたら、今の現実を受け入れるという形を取ることも出来るかと思います。
人間には意識できない意識とご縁
深い意識の中には、太古から続いているような人類共通の意識のようなものもあると思います。
たとえば、極端な例を言えば、人間は自分の身一つで空を飛べません。なぜかというと、鳥ではないからです。
もしも、本気で空を飛びたいと願っていたら、おそらく人間ではなく、鳥に生まれていたでしょう。
人間として生まれてきた時点で私たちは「人間」という枠の中に入っています。
そういう意識を持つ存在だから人間に生まれた、ということだと思うのです。
だから、羽を持っていないし、空を飛ぶときは飛行機に乗ります。
そういうことを選択して生まれてきているのだと思います。
そして、もっと身近なところで言えば、今の家族のもとに生まれてきたのも、理由があってそうなっていると私は思います。
両親の意識と共通したものを持っていたから、その両親の元に生まれてきたのだと思います。
似たような存在だから引き寄せあったかもしれないし、場合によっては正反対だから引き合ったということかもしれません。
正反対のものというのは、本質的に、同じテーマをもつ存在だと私は思います。
日本に生まれたのも、日本に生まれるような意識や意思を持っていたからだと思います。
そして、そういう環境に生まれたからこそ出来ることや、反対に出来ないことがあります。
そういった全てのご縁を、宿命と呼ぶのだと思いますが、宿命はなかなか、変えられない場合があるかと思います。
もしも、宿命の全てを変化させてしまったら、今まで出会ってきた全ての人との共通事項が無くなり、縁が切れてしまうかもしれないと私は思います。
もしかしたら宿命を変えても縁は切れないかもしれませんが、取っ掛かりや、感情的なつながりが消えてしまうように思います。
引き寄せの法則が上手く行かない人は・・・
引き寄せの法則が上手く行かない場合は、ひとつには、イメージングや執着を手放すことが苦手という原因がある人もいるかと思います。
そうでない場合には、もしかしたら、宿命にかかわることだから変えられないということもあるのかもしれないと、私は思います。
その現実を変えてしまったら、潜在意識の深いところが変わってしまい、全ての人とのご縁や約束が反故になってしまうような願いは現実化しないのではないかと私は思っています。
引き寄せの先には宿命に従った生き方があるような気がする
引き寄せの法則を意識して生きていると、あるときから、願うことがなくなってくるのを感じるのではないかと思います。
望むものがなくなってくるような気がします。ただ、つながりのなかで、生きるような感覚です。
また、願っても願っても叶わない願いが20年後に、思っても見ない形で現実化することもあります。
そのときには、自分だけでなく、いろんな人たちの、いろんなタイミングが関係してきます。
新しく出会った人や、今まで一緒に居た人との関係性が変わり、つながる全ての人が絡み合って、新しい現実が作られていくと感じるのです。
ですから、自分ひとりの願いで現実が出来ているわけでもないと私は思っています。
奉仕とはつながりの中で自分を活かすこと
奉仕の気持ちが大切というのは、自分と自分以外の全ての人たちのタイミングを上手に調整することになるからだと私は思っています。
奉仕という言葉に拒絶感がある方もいるかもしれませんが、奉仕というのは、私たちが思いがちな自己犠牲とはまったく違ったものだと私は捉えています。
奉仕は自分という存在を、自分以外の全ての人とのつながりのなかで、上手に活かし、スムーズに物事が運ぶようにする、一番良い方法だと思っています。
仕事の場合なら、人の役に立つ、喜んでもらえることを考えて行えば、結果的に良い成績が出せるし、重宝されるし、お金にもなるのではないかなと思います。
需要がない商品は売れないという、ある意味、当たり前のことかもしれません。
また、不思議なもので、さまざまなつながりの中で自分自身の能力や存在が活かされているときに、自分らしく生きていると強く実感できるものだとも思います。
奉仕の気持ちで生きることと、自分らしく生きることは、本質的には同じことだと私は思うのです。
そして、自分らしく生きることが、かならずしも個性を主張するとか、目立つということでもないと思います。
目立たない、個性の弱い個性の人も居ると思います。
そういう人は、ひっそりと生きることで、自分らしく生きていられることを実感できるのではないでしょうか。
引き寄せの法則は、つながりに気づくための大切なステップだと私は思っています。
しかし、引き寄せの法則を超えたところに、宿命を受け入れ、宿命に従って生きる段階があるとも思います。
そして、宿命を受け入れることが、一番自分らしく生きられる生き方なのではないか、と私は思います。
人は、自分の意思で現実を変えることがすばらしくて、えらいことだと思っています。それはエゴ中心の生き方だと思いますが、そういう生き方がえらいと思っている人が多いと思います。
ですから、宿命に従うとか運命に従うとかいうと、何か、人生をあきらめてしまって、ネガティブで後ろ向きで、ダメな生き方のように思う人も多いとと思います。しかし、私はけしてそうではないと思っています。
抵抗することをやめて、宿命や運命を受け入れた先に、本当の自分らしい生き方やあり方、人生がまっていると思うのです。
適材適所というものがありますが、運命に抵抗せず、自然な形で流れ着いた先に、適材適所で生きられる場所があるとおもいます。
そこに行くことを拒むのがエゴだと思います。
引き寄せの法則が叶わないのは、もしかしたらその願いが、エゴからでたものだからではないかと私は思うのです。