シンクロ二シティは音、数、事象
シンクロ二シティとして良くあるのは、数と音が一致することですがツインレイに出会ってから、これらのシンクロを体験する人も多いのではないでしょうか。
シンクロには、たとえば、同じ名前の人や、同じ誕生日の人と縁かある場合などがあります。
同じ誕生日や同じ名前の人は、自分にとって、同じ意味をもつ人である場合があるかと思います。
人生の要所、要所に、思じ名前の人が現れて、似たような役割を果たしているなど、パターンがあるとおもいます。
そういったシンクロ二シティを、たまたま、偶然、奇遇、で済ませてしまえばそれまでですが、その人と出会ったり再会することが、なんらかのサインである場合があると思います。
ただしそれは、あくまでも、自分にとってのサインなので、他の人にいっても理解できないと思います。
また、そういったシンクロやご縁には、かなりの年数生きないと気づけないかもしれません。
しかし、ツインレイに出会うことで、過去の繋がりが一気に見えてくる場合もあるかと思います。
サインによる気づきと変化
シンクロなどは、あくまでも、個人的な気づきのために起きることだと思います。
ただし、気づきが起きるたびに、現実が変化していくと思います。
でも、変化した先には、自分らしい自分がいるだけだと私は思っています。
同じ名前の人、同じ誕生日の人、同じ事象などは、自分らしい自分に気づくサインだと思います。
シンクロ二シティを感じる人が、自分の人生に登場したとき、どんな気持ちになったか、またその時、何を考え、何を目指していたのか考えてみると、大切なことに気づけるかもしれません。
わたしの場合・Aちゃん
たとえば私はAちゃん〔名前はふせますが〕と言う名前の子が、何人か友達にいます。
どのAちゃんも自分の才能を認めてくれた人でした。
ファンになったAちゃん
まず友達の妹のAちゃんは、小学校の学芸会の出し物で私が披露した芸がいたく気に入り、一時期、私のファンのようになりました。ちなみに私のファンはAちゃんだけ…。
私はかなり地味な存在だったのに、なぜかAちゃんのツボに入ってしまったようてす。
中学の同級生Aちゃん
そして、私が親に言われた道ではなく、自分の好きな道に進もうと決めたとき、中学の同級生のAちゃん〔私のファンとは違う子〕は、私のことを、「自分を持っていてかっこいい!」と大絶賛してくれました。
Aちゃんは、一時期、こっちが引くくらいわたしに粘着し、毎日私を褒めまくっていました。
幼馴染のAちゃん
また、幼馴染のAちゃんと言う人もいます。幼馴染のAちゃんは、人生で最初の友達です。
子供のころ、私は保育園にいっておらず、周りにいる子供は、まだ赤ちゃんの妹だけでした。そのため、遊び相手がおらず、退屈な毎日でした。
親や祖父母も遊んではくれましたが、大人なので感性が違うのです。
同年代の友達が欲しい!
そう切望し、最初にできた友達がAちゃんでした。母親同士がママ友だったのです。
不思議なのですが、私が生まれて初めて自分の意志で決めた学校の同学年の子と、幼馴染のAちゃんは同じ中学の同級生でした。
Aちゃんと知り合いのその子の家に、私が卒業間際に1番仲良しになる子が下宿していました。
また、幼馴染のAちゃんと私が通っていた学校の人たちとは、大人になってからもお付き合いがあります。
それは、私が紹介したわけではなく、たまたまお仕事がらみでご縁があったそうです。
小さな世界のことですが、今思うと、繋がりがあります。
Aちゃんは私の個性を認めてくれる人
Aちゃんと言う名前の人は、私にとって、自分の才能とか、自分らしさを認めてくれる人、と言う意味があるような気がします。
Sさんは望んでいるものを示してくれる人
また、私を大絶賛した中学の同級生のAちゃんの苗字は、Sと言うのですが、その苗字は私の母の旧姓と同じです。
ちなみにSさんという苗字はよくある苗字なのですが、今まで出会ったSさんは、どの人も、わたしの望んでいるものや、新しくチャレンジすることを教えてくれる人でした。
女性のSさんは、自分がこうあるべき、こうなるべき姿を見せてくれて、男性のSさんは、自分の行くべき世界や使うべきアイテムを見せてくれる人のように思います。
Sさんは、人生の要所要所に現れて、強い印象を残して去って行きます。
ちなみに私がいま自分のライフワークをしている部屋は、母の弟が昔使っていた部屋です。Sさんの部屋です。
Sさんという名前は、母方のご先祖の縁かもしれないと思っています。
Aさん、Fさんとも縁がある
他にも苗字がAさん、Fさんとも、縁があります。
女性のAさんは良くも悪くもこうなりたい、こうなってしまう自分。
苗字のFさんは自分が持っているけれど発揮できていないものを見せてくれる人。
と言う風に解釈しています。
ある特定の日
また、ある特定の日も、わたしの人生においては、同じ意味をもつようです。
その日に亡くなった人が未来のわたしの姿を予言し、その日に生まれた人は、わたしがこれからなろうとしている姿、または、過去のわたしの姿をしている人です。
ツインレイに出会ってから過去のシンクロに気づくようになった
このような名前や誕生日のシンクロに気づいたのはツインレイに出会ったことがきっかけです。
それ以前にも、偶然の一致を感じて、不思議だなぁと思うことは随分ありました。
しかし、ツインレイに出会い、ツインレイとのシンクロに気づき、シンクロが多発するうちに、過去に起きた数かずのシンクロも一気に気になってきました。
わけがわからなくなり、気になるシンクロをノートに書き出してみました。そして、みんな繋がっているのがわかりました。
書き出していく中で、自分なりの答えや気づきみたいなものがたくさんありました。
大切のなのは繋がりや関連性ではなく、そこから何に気づくのか、だと思いました。
気づくことで、本来の自分に近づいていくような気がします。
全てのシンクロを関連づけているのは、自分の心なのだと思います。
易との出会い
シンクロに気づいてから、易との出会いがありました。
成り行きで易を勉強することになりましたが、易はシンクロ二シティを使って占うものだというのがわかりました。
梅花心易は、サイコロや算竹など使わず、その時起きた現象を見て占いますが、繋がりに気づけば、名前や数字、場所、事象などで占うこともできるのだと思います。
それら全ては、自分の心を鏡として、鏡に映し出して読み解いていく感じです。
現象をみて、わたしがどう感じたか。
と言うことが大切だと思います。
超主観的に見ていくことで、繋がりが見えるからです。
ただしそれは、あくまでも主観的な、自分だけの世界のことです。したがって、それ自体は、自分にしか意味がないため、人にいっても仕方ないことだと思います。
しかし、易の場合は、自分の気持ちに照らし合わせて、自分のこととして読むと、相手も当たっていると感じるようでした。
自分の心に映し出そうとすればするほど、心は、波のない、静かな水面のようになります。
そのとき、ゾロ目やエンジェルナンバーを見ることが多いように思います。
世界は鏡
話はもどりますが、わたしの人生に登場した、複数のAちゃんは、わたしの中のある一面なのだと思います。
面白くて、個性的で、ユニークで…全部同じ意味かもしれませんが、Aちゃんは、わたしがそういう人間だと気づかせてくれた人たちだと思います。
自分の選択が間違っていたのではないかと思うこともありましたが、Aちゃんを始めとする、数々の繋がりに気づくことで、全てはあらかじめ決まっていたのかもしれない、という風にも思うようになりました。
人生とは、自分に気づくための旅なのかもしれない、とも。
Aちゃんだけでなく、縁の深い人、印象的な人は全て、自分のある一面を見せてくれた人だと思います。
人は鏡なのだと思います。
ツインレイは鏡の総仕上げ
人は鏡だと思って生きるようになり、全ての人を受け入れるようになってからツインレイが現れました。
嫌だなと思う人と出会うたびに、自分の鏡なのだと思って生きていたら、嫌な人がひとり、またひとりといなくなり、その頃には、周りがみんな良い人になっていたのです。
そこにツインレイが現れました。
始めは相手のことをよく知りませんでしたが、その時の私には、完璧な人に見えました。
しかし、しばらくしてから、噛み合わないところがたくさん出てきました。
噛み合わないたびに、自分を見つめるしかなくなり、自分と言うものを再確認するような流れになっていきました。
しかし、最終的に、「この人は、自分なのだな。」と思うようになりました。
そう思うほうがしっくりくるのです。
ツインレイは、様々なご縁により見せられてきた自分を、もう一度映し出し、自分の姿を再確認する、最後の鏡なのではないかと、私は思うのです。
細部にわたり、自分の姿をチェックしたら、自分の姿を理解した上で生きていくことになるのではないかとも思います。
ツインレイに出会う前に、たくさんの縁ある人たちに出会い、導かれ、辿りついたのがツインレイという気がします。
今から遡って人生を振り返ってみると、そうとしか思えないのです。
縁と縁で、辿り着くべきところへ、導かれるようになっているのだと、感じています。